TORUMIRUは写真家の海人と美容家の仁美、和田夫婦の視点を切り取るウェブマガジンです。二人ならではの景色と視点をお届けしていきます。

消えゆく伝統をどう観れば良いか?|前編






仁美、海人の二人は昨年の9月から、今年の3月まで『伝統を撮る旅』をしていました。本州の最北端、青森から旅がはじまり、九州でひとまず一旦旅を終えることになりました。

その旅の中で、二人は『消えゆく伝統を撮る旅』から『伝統という営みを撮る旅』へとテーマを変えました。そのときの二人の心内にはどんな想いが秘められていたのか。

また、伝統や職人さんと直に触れていく中で、何を見て、何を感じていたのか。

日本における伝統工芸や伝統産業の未来や、その必要性なども踏まえて、二人にとって伝統とはどういうものとして映ったのか、じっくりと伺いました。

私たちはこれからどのようにして伝統というものを見ていけばいいのかという点も含めて、一緒に考えていきましょう!








「伝統を残す」という幻。



話を伺う中でとても印象的だったのが、カイトくんが言葉にした「幻だった」という発言でした。

二人は旅の出発はウェブで「2020年代に日本の伝統の4割は消滅してしまう」というニュースを見たことからはじまりました。

コロナ禍の影響もあり、さらに拍車がかかっているという危機感も感じ、「これはやばい」と旅を出発したのですが、実際に感じたのは「問題は問題ではなかった」という事実でした。





仁美|私たちは元々、伝統というものに興味があったし好きだったから、ネットニュースで「4割がなくなる」というのを見て、これは早く撮らなきゃと思って旅を始めたんだけど、実際に旅を始めてみると、問題は問題じゃなかった。伝統がなくなるということ自体はあまり問題じゃなかったんだと気付かされたなって。


編集長|なるほど。問題は問題ではなかった。それは消えてゆく伝統があっても、良かったということでしょうか?


仁美|伝統がなくなることは自然なことでもあって、なくなるべくしてなくなくなっている。淘汰されることもあるし、そもそも残そうと思ってやっていない人もいる。それを無理やり残そうとしても、違うなぁって思った。


編集長|確かに本人が望んでいないのに、無理やり残そうとするのには違和感がありますね。


海人|幻だった。「消えゆく伝統を残す」ということ自体が、幻だった。消えていく伝統を残すことは不自然なもので、あえて残すことでもなかった。


仁美|私たちは普段沖縄に住んでいるけど、あまり身近に「伝統」というものを感じることがなくて、「伝統」を凄い尊いものだと思っていた。けど、蓋を開けてみたら、生活の中に当たり前に転がっていた。それに気づいていなかった。


編集長|なるほど。伝統はそれほど特別なものではない、と。


海人|本人たちよりも周りの人たちの方が幻を見ている気がする。


仁美|なんか凄いものだから、なんとかして残さなきゃってなっちゃってるよね。








無理に残そうとすることは不自然なこと。



「なくなるべくものは、なくなるべくしてなくなっている」という視点で二人は語ってくれました。確かに無理をして続けていこうとすることは不自然なのかもしれません。

不自然であるということは、つまるところどういうことなのか?旅をする中で出会った具体的な事例を聞いてみました。




編集長|なくなることは自然である場合もあると。実際にそう感じた事例はありますか?


海人|えっと、あれとかそうじゃない?藍染のお婆ちゃん。


仁美|ああ、そうね。青森で藍染している超かわいいお婆ちゃんがいて。髪の毛まで藍染の青にしていて。たぶん80歳くらいかな。撮った写真をSNSに載せていいですか?って聞いたら「載せてもいいけど、(注文が)これ以上来られても困るからぁ」って言われちゃって。





編集長|ああ、なるほど。たくさん作れないから、宣伝できないのか。


仁美|「じゃあ、連絡先とかは載せないで、写真だけにしますね」ということになったんだけど。釜も一個しかないし、もう体力もそんなにないからって。


海人|籠バックもそうじゃない?家族でやってるからって。作ってる人がそもそも減ってきてる。


仁美|手、やっちゃってたもんね。作りすぎて。手、腱鞘炎になっちゃってて。





海人|そこの籠バックがアケビのツルで作るのね。アケビのツルってめちゃめちゃ硬いんだって。全部手編みでやってるから、腱鞘炎になるくらいだから休んでるんだよ、って。


仁美|確か寒いときに取りに行くんだっけな?山まで家族で撮りに行ってって感じだから、山にある分しかそれこそ取れないし。長く続けて使ってくれているお客さんもいるから、そんなに新しく(新規のお客さんが)増えられても生産していけないってのもあるよね。


編集長|それは場所はどこですか?


海人|それも青森だね。







自然とのバランスを考える必要がある。



二人が伝統に携わっている人や暮らしの事例を教えてくれている中で『自然との共存』の話が出てきました。

このテーマに関しては、昨今ではエシカルやサスティナブルという言葉が使われて、あらためて見直されていることでもありますよね。SDGs(持続可能な開発目標)でも、気候変動についてや海や森を守ろう、という項目があります。

自然と伝統とのつながりにはどういう関係があるのでしょうか。



仁美|伝統って、その土地その土地でやっぱり違うし、自然の恵みたいのもので成り立っているものが多いから、環境破壊が原因もあるかもしれないけど、有限なんだよね。


編集長|自然の素材ですものね。


仁美|そうそう。あるものでしか作れないから、そのあるものの中でしか作れない。大量生産できるものでもないし、ほとんど手作業、手作り。産業として大量生産できるものでもないから、意図的に広げる力をかけるのは、負荷になるのかなと。


編集長|過剰にやってもバランス崩れてしまうこともありますよね。


仁美|季節とかも、このシーズンはとれて、このシーズンは寝かせてみたいな、むっちゃ長い時間かけてやるものがいっぱいあるから、そんなにすぐ今注文入ったって、来年まで待ってみたいな感じになっちゃう。



伝統工芸品というものは多くのものが、自然の恩恵を受けてつくられています。そのため、無闇に生産量を上げるわけにもいきません。

生産量を上げるためには、そのために生産性の高い木を山に植えて収穫量を上げるなど、対策は考えられますが、その結果そのために原生林を失い、水害や土砂災害などの原因になってしまっていることが危惧されています。

伝統の未来を考えるときに、この自然とのバランスをどう配慮していくかは重要なポイントとなりそうです。








記録することに価値がある。



「消えゆく伝統があることは自然なこと」。あらためて考えるとなかなかと衝撃的なことですが、とはいえ「残したい伝統」もあるはずです。

私たちは伝統的なものと、どのように向き合っていけば良いのでしょうか。



編集長|いいものだけど残したいものについては、二人はどう考えていますか?


仁美|見守る、かなぁ。うちら如きになにも言えないって気持ちが強いのよね。


海人|俺たちができることはたかが知れてるなって。旅に出る前は写真に残して、撮った写真をつかって、なんならWebページなんかもつくれちゃったりするから、ECショップたちあげて、「代わりに販売させてもらうこともできるかな」とか言ってたけど、それを言い出す資格があるのかな?って。


仁美|そうそう、口出しできないよね。


海人|突然きて、その人たちが何十年と積み重ねてきた氷山の一角というか、表面をさらっと触れただけで、販売させてもらえないですかなんて、おこがましいなと。


編集長|それがずっと面倒見れるならいいですけどね。


海人|そうそう、そこまで責任取れない。


仁美|だから、本当にただ映すだけかな、出来ることって。そこに目的も意図も乗せてはいけない、だから、「ただ映す旅」に途中からなっていって。


編集長|カイトくん的にはただ映すの先に、何かありそうな気はしていますか?誰かの何になるとか、誰がどう感じてくれるとか、アート的な要素でもいいし。


海人|(しばらく考えた後に)...残した先に何がというのは具体的にはわからないけど、残すってことにはめちゃめちゃ価値があると思う。これは写真家の濱田さんが言ってることだけど、写真はプリントしてくださいと。なぜなら100年残るから。紙という媒体に写真を残せば、100年残ることが実証されているから、写真は紙で残してくださいって。











編集長|なるほど、紙の方が長く確実に残るのか。


海人|伝統も、いろいろみてると、一回途絶えた伝統が結構あるんだよね。一回途絶えたけど、その地域に根付いた誰かが復興させたみたいなものをよく見る。何を元にしているかわからないけど、資料が何かしら残っていたものがあって、残すために、いまの時代の新しい技術を使って革新していくみたいなことがある。


仁美|江戸時代のものとか残っているものとかがあるもんね。


海人|いっそのこと、一回途絶えてしまった方が面白いかもしれないね。100年、200年先にいまの自分たちが想像もつかない技術を持った人たちが、現時点の伝統を何か新しい形に変えて復活してくれるとしたら、それは面白いかもしれない。


仁美|だから記録を残すことに意味がある。私たちも(今回の旅の記録を)絶対プリントしたいんだよね。






思いやりゆえに、取るべき行動を選ぶ。





島根でまちづくり系の仕事をしていたときに、よく使われていた言葉に「よそもの」という言葉があります。

「よそもの、わかもの、ばかもの」と言って、それはネガティブな意味ではなくて、そういうやつが町に新しい風を与えてくれるという意味だったのですが、とはいえ長い歴史の重みを感じられないまま、表面だけをなぞって「問題を解決したつもり」になってしまっては、それは迷惑にもつながりかねません。

では、私たちが確実に出来ることはなんなのか。そこを見極めて、慎重に向き合うことも必要そうです。

慎重に、そして思いやりを持って、相手に敬意を払って。そんな面持ちを二人には感じられました。







インタビュー前半はここまで。


後半は伝統のもう一つの側面、工業的な伝統産業を見て二人が感じたこと。そして、これから私たちが出来ることがあるのであれば、それはなんなのか?具体的に聞いてみました!


ぜひ次回もお楽しみに!









撮影|和田海人
聞き手|龍輪諭




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